忘れられない9月9日
私も看護師なので、上級救命救急の講習を1年に1回は必ず受けている。
子ども達に何かあった時に、救えないのはシャレにならない。
9月9日特別な日。
9月9日は母の命日でもある。
5年前に交通事故で亡くなった。
早朝、散歩に出かけて、バイクと衝突して飛ばされた。
早朝に弟から電話あった。
母が事故に遭って危篤だと。
昨日夜にメールがきたよ。元気かい?って、
珍しいなぁ、母からメール。母も元気そうだった。
うそでしょ、という気持ちと、母が死んでしまう、という気持ちがぐるぐるしていた。
田舎に向かうために羽田に急いだ。まだ半信半疑だった。
でも、飛行機を待つ間に、母とのいろんなことを思い出し、涙が止まらなくなった。
ものすごく、悔しくなってきた。
なんで、事故になんか・・
まだ、なんの親孝行もしていないよ。
助かってよ!!
飛行機の中でも、涙が止まらなかった。
ドリンクをもってきたCAさんに、大丈夫ですか?と声をかけられたけど返事もできないし、顔もあげられない。
羽田から飛び立って、2時間後に病院に着いた。
救命センターに向かい、看護師さんに促され、母が寝かされている部屋へ入った。
先に来ていた私の娘たちが、横たわっている母にすがって泣いていた。
「おばあちゃん、死なないで・・・・」と。
脳死状態だという。
顔はむくんで、布団からはみ出していた足もむくんでいた。
頭を強く打ったらしく、頭には包帯が巻かれていた。血がにじんでいた。
交通事故にあったとき、遭遇した方が救急車を呼んでくれたという。
ぶつかった瞬間は意識があったらしいが、すぐに
「痛い・・・」
と言って、意識がなくなったと話していた。
どんなに痛かっただろうか・・
痛かったよね、お母さん。
お願いだから、助かって!!
何度も何度も、横たわっている母に話かけた。
病院に運ばれてから、脳死状態で、人工呼吸器で生かされていた。
弟は担当医に呼ばれ、人工呼吸器をはずすことを言われた。
もう手の施しようがないと言われたので、私も承諾した。
はずすとすぐに止まるのかと思っていたが、呼吸はなぜか安定した。
その頃まだ、次女が到着していなかった。
間に合わないかなと思ったが、このままいけば、大丈夫かもと思った。
午後、次女は到着した。
おばあちゃんにたくさん話かけ、いろんな思い出話をした。
それから、間もなく、静かに息を引き取った。
母は、次女を待っていたんだね。
最後まで優しかった母。
身内を突然の事故で亡くす悲しみを味わった。
病気だと、ある程度の覚悟もできる。
看病して最後の親孝行もできる。
心の整理ができる。
でも、突然の死は、いつまでも悲しみが消えることはない。
今でも、5年前の9月9日のことは鮮明によみがえるし、
羽田に行くと、あの日のことを思い出し、涙が出てくる。
今だに母の残した日記を読むことができないでいる。
世の中にはいろんな事故で家族を亡くす人がいる。
大震災だろうが、交通事故だろうが、不慮の事故だろうが、事故の大きさに関係なく、遺族はみな、何年たっても忘れることができない辛さと共に生きて行かなければならないんだね。
お母さん、10月にトンちゃん(次女)の結婚式あるよ。
お母さんに見せたかったなぁ・・・花嫁姿。
天国から見ててね!